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2015年12月02日

謎の石神井川文化圏その3

謎の石神井川」文化圏」(その3)

石神井川を「しゃくじいがわ」と読めるように
なったのは杉並に住んでいた中学生の頃だ
った。 それまでは石神井は「いしかみい」で
あった。
いしかみい。
実は元々はこう読まれていたようなのだ。

なぬ?

伝説によれば、その昔村人が井戸を掘って
いたところ石棒がでてきて、それを霊験あら
たかな石(霊石)、つまり石の神様(石神=
いしがみ)としたのが、そもそも石神井という
地名の由来だそうだ。

ほんとうかどうかは少し疑わしい気がするが
なにせ 霊験あらたかなモノが出てきちゃ、
さからえない気がします。

石神井川は全長25kmほど。各所の湧水を
水源としているが最大の湧水源は練馬区に
ある三宝寺池であり、この池の以東こそが
本物の石神井川であると感じている人が都
内では結構いる。


三宝寺池にはかつて石神井城と呼ばれ城
(館)があり武蔵の豪族豊島家の本拠であっ
た。
15世紀の中ごろに豊島泰経は江戸城を築
いた太田道灌とまずい関係になった。という
のも道灌が泰経の権益にちょっかいを出そう
としていたからだ。

道灌の挑発に挙兵した泰経は、定石通りに
江戸城と河越城の道路を分断した。軍事道
路を分断された道灌は激怒し豊島勢を江古
田・沼袋原の戦いでコテンパンに打ち破り、
泰経は石神井城に篭城を決め込んだ。 
道灌はこれを包囲、落城させた。
豊島氏は壊滅。と言っても泰経は夜陰にまぎ
れて脱出お家再興を企んだと言います。


でも土地に伝わる伝説はちょっぴり違う。
落城したときに泰経は重代の家宝「金の鞍」
を白馬に置いてまたがり、崖から三宝寺池へ
ダイヴし、二女の 照姫(多分美人)もこれを
追って入水したという。

昔から晴れた日に湖底がキラキラ輝くのは
金の鞍のせいなのだ。私も子供の頃からこ
の金の鞍をどうにか吊り上げる方法がないか
と何度ものぞきましたが発見できていません。

というか湖底をキラキラと輝くのを見たことが
ないんです。大金持ちになったら必ずこの湖
底から金の鞍を見つけ出すと誓ったものの
大金持ちになれず今だ探索にはいたっており
ません。どなたか私を大金持ちにさせてくださ
い。お願いしま~す。)

wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E7%A5%9E%E4%BA%95%E5%85%AC%E5%9C%92


  


  • Posted by まつざきひろし at 23:28Comments(0)管理人の寝言。

    2015年11月29日

    石神井川文化圏 その2

    平成17年9月半ばのこと。
    数日間続いた豪雨で中野区では石神井川
    や妙正寺川が氾濫した。
    杉並に住む川マニアの知人の話しではその雨
    でヘドロが押し流されて、川底が結構奇麗に
    なったと言う。


    石神井川もどぶ川と言われていた一頃から
    比べれば川底も水質も随分よくなった。
    上下水道の普及で 流れ込む生活排水が
    少なくなったことが原因と言われている。
    都の調べでも様々な魚が生息できるところま
    で水は質回復しているという。



    確かに西武柳沢駅の南のガスタンク前では
    以前アブラハヤと思われる小魚が群れていた
    のを目視したことがある。体調12cm前後の
    アメリカザリガニも見たことがある。ときどきです
    が小鷺と思われる白く美しい水鳥も飛来….。
    これは練馬区関町の富士見池南側付近の
    流れならよく見られるようだ。




    東京都練馬区関町北3丁目にある富士見
    池といえばカワセミが生息し、付近の高齢者
    年金生活者をにわかカメラマンにさせており、
    カメラ屋さんを喜ばせているんだそうです。

    このコサギは東久留米市の黒目川や落合
    川から来るのかもしれない。田無駅南口の
    文化大橋の川底には湧水のポイントがあり
    ここを選んで来るようにも見える。
    長いくちばしで餌を探している光景はスタイリ
    ッシュで、なんとも微笑ましい。

    平成16年9月12日の夕方にはやはり文化
    大橋の下でラクビーボールにそっくりの水鳥を
    発見しました。その鳥は実に真面目そうに川
    底を眺めていました。たまたまデジカメを持っ
    散歩していたときでしたので、何枚かカシャカ
    シャ。その写真をインターネット上のブログに
    アップしておいて「この鳥の種類を教えて下さ
    い」とネット上の鳥に詳しい人々の掲示板で
    教えを乞うたら、物凄い数の鳥マニアの皆さ
    んから「それはゴイ鷺の赤ちゃんです」と連絡
    がありました。いやあ人間は誰でも好きなこと
    になると皆親切ですね。詳しい解説付きで頭
    が下がりました。



    石神井川は年々水質が向上し、いろいろな
    動物や魚がゆっくりと戻りつつあるのでしょう。
    ハッピーであります。
    でも生活排水が少なくなったので、清流には
    もどったのですが、水量が激減して…川らしく
    ない姿にはなっています。


    パリにセーヌ川があり、ロンドンにテムズ川があ
    るように、田無に水量豊かな石神井川があ
    れば、吉祥寺や立川には負けない魅力ある
    町になるのに … と言うには無理がありますが。  


  • Posted by まつざきひろし at 17:33Comments(0)管理人の寝言。

    2015年11月28日

    石神井川文化圏その1

    石神井川文化圏があったかどうだか?


    杉並区に住んでいた昭和30年代後半よく
    石神井公園の石神井池に遠征した。

    魚捕りだ。当時、石神井池周辺は水田が広
    がっていて、池の南には西から流れてくる
    小川が田圃の真ん中をのんびり流れていた。
    それが石神井川だった。

    練馬区のHPにあったこの写真の景色その
    ものでした。




    先日、その場所に立ってみた。練馬区石神井
    台1丁目1番地付近だ。予想はしていたが
    、あの日の景色はどこにもなかった。過去50
    年間で東京西部は信じられない速度で変貌
    した。これを「近代化・都市化」と呼ぶそうだ。
    ふ~ん。

    石神井川は田無の真ん中を横切る。
    昔、この付近では「悪水」と呼び、北区王子付
    近では「滝野川」と呼んだそうだ。

    ある文献によれば、石神井川と呼ばれたのは
    比較的最近のことで、長きの間、石神井川と
    は最大の水源である石神井池以東の流れを
    意味したという。

    真面目な本には、小平市鈴木町付近を水源
    とし、西東京市、練馬区、板橋区を通り、やが
    て隅田川に合流する荒川水系の一級河川で
    もある、などと書かれているが、田無での市
    民認識は「どぶ川」に近い。都心から転入して
    きた人は石神井を「いしかみい」と読むし、最
    初は田無を「たむし」と思うそうだ。結構かゆ
    い名前でもある。 


    川好きには二種類ある。下る方に興味を持つ
    人と上る方に興味を持つ人だ。

    後者である私は十年前に奥地の鈴木町を目
    指して探検にでかけた。が、水流が確認でき
    る最上流部は花小金井駅の南にある嘉悦大
    學構内で終わった。川の水源は複数で超高
    級ゴルフ倶楽部の小金井CCの中にあります。

    その嘉悦大学にはいる前は小金井公園の脇
    で、その前は畑の中をこんな感じで走ります。




    警戒も厳重で 貧乏英語教師ではそう簡単に
    は入れない。しかし私は強運の持ち主だ。
    2004年11月23日、付近をチャリで南下すると
    何と倶楽部が雨水処理工事をしていたのです。
    工事発注:小平市 工事施工:鹿島建設。工
    事ともなれば警備は手薄になる。その盲点を
    ついて、工事関係者のような顔をして私は敷
    地内に侵入し、幻の水源地の一部と思える場
    所をデジカメ撮影に成功したのです。川の水
    源と思われる窪地が、ゴルフコースに上手く
    活用されているではないですか。
    こいつ~ぅ。(続く)



    写真 Kasen Infoさんの写真は工事中に覗い
    たときの地下水の合流点と思われる場所。
    ほぼ小金井街道の西側です。  


  • Posted by まつざきひろし at 14:46Comments(0)管理人の寝言。

    2015年02月02日

    妖怪「野寺坊」が住むお寺。



    田無北部に隣接する埼玉県新座市には野寺という地名がある。

    この地には寺の鐘を盗もうとした男たちが旅人に見つかりそうになり、鐘を寺の近くの池に落として逃げ去ったという民話が残っているそうだ。

    寺とは新座市野寺2-15-17に現存する真言宗智山派の満行寺のことで、著名な歌人が詩に詠むほどの名刹である。




    「武蔵野の野寺の鐘の声聞けば遠近人(おちこちびと)ぞ道いそぐらん」 藤原業平

    「はるばると思いてもやれ武蔵野の ほりがねの井に 野寺あるてふ」 紀 貫之


    ぼろの衣を着て廃寺に住むという妖怪「野寺坊」誕生の寺とされ、妖怪マニアの間では超人気なのだという。

    写真の野寺坊は江戸時代の妖怪絵師鳥山石燕の創作妖怪だとも言われるが、実はこの野寺 正式名=満行寺にまつわる伝説「野寺の鐘」にそも

    そものルーツがあるというのが現在最も有力な説だそうな。

    寺の南西には野寺園という釣堀が最近まであった。

    古絵図をみると釣堀のあった位置に鐘ガ淵と呼ばれた湧水池がある。今は暗渠となった中沢用水の水源池でもあった。

    この池こそ盗人が鐘をボチャン!と落としたという池のことだ。

    ということは鐘が今でも釣堀の底に埋まっているということなのか。さ、どうする!

    この伝説と妖怪「野寺坊」がどう結びつくのかは今一つ分らないのだが、古絵図を見る限り江戸時代には妖怪が現れても不思議でない淋しい武蔵野

    の原風景だったことが分る。満行寺の南にはこれまた由緒ある武野神社(たけしのじんじゃ)がある。

    ここには霊験あらたかな湧き水があるが、最近は枯れることが多いという。霊験も周辺の都市化には敵わないのであった。ざ、残念。 

    満行寺
    〒352-0034 埼玉県新座市野寺2丁目15−17


      


  • Posted by まつざきひろし at 12:01Comments(0)管理人の寝言。

    2014年07月25日

    地名 田無の由来。




    西東京市の公式WEB SITEでは田無の由来をほぼ以下のように紹介しています。

    田無の語源については様々な説がありますが、定説は得られていません。
    地域一帯が「田のない」ところであり、その核心地域として「田無」の名称が残ったと考えるのが、もっとも一般 的な解釈です。
    湧水の流れが浅い階段状の「棚瀬」になっていたからとする説もあります。
    「田を成す」ことが、「たなし」になったとする説。
    年貢の収奪がとくに激しく、種籾すらも取られてしまったため、「種なし」の村と呼ばれ、それが「田無」に変化したとする伝承。


    結論として定説はないわけです。

    「田無」の地名が見られる最古の文献は、 永禄2年(1559)の後北条家の文書「小田原衆所領役帳」です。

    ちなみに永禄2年(1559)は以下のような年でした。
    織田信長が尾張を統一し
    絵師 狩野元信が死去し
    関が原の西軍知将 大谷吉継が生まれた。
      


  • Posted by まつざきひろし at 04:18Comments(2)管理人の寝言。

    2014年06月25日

    西東京市にある3つの白子川水源




    練馬区東大泉の区立大泉井頭(いがしら)公園に端を発し、板橋区三園で新河岸川に合流するのが

    白子川。

    しかし井頭公園から更に上流も存在し、その流路は西東京市では新川と呼ばれ、その水源は3箇所

    から成ります。

    その内の2つが田無・谷戸地区にあります。

    川といっても常時流水があったのではなく、雨季には川、乾季には空堀だったようです。

    比較的水の便に恵まれた谷戸地域は田無発祥の地。谷戸とは多摩地区の湧水地につけられた

    地名でもあります。

    かつて、この地は雨季には川・湿地帯となり、稲荷社や白山社、弁天社、田無山総持寺の前身で

    ある西光寺があり集落を形成していました。

    江戸城築城のために青梅街道が作られるまでは谷戸が田無の中心であったのです。


    市立谷戸小学校がある辺りは今でも若干窪地、雨が降ると池のように水がたまります。




    谷戸新道をはさみ 谷戸小学校の反対側には写真のような遺構が見えます。



    中は空洞になっていて 以前はくみ上げクランクが付いていたであろう井戸が見えます。

    新川の一つの水源から直接汲み上げていたのでしょう。


    この水源の直ぐ近くの民家には水の神様をお守りすると思われる屋敷稲荷があります。



    この稲荷ですが元来は谷戸小学校校庭の南にある松林跡という言い伝えがあり、

    そうだとすると水源の位置も松林の中の可能性があります。

    白子川に沿い西へ西へと原野を開拓した一団は朝鮮半島とくに新羅系の人々が中心となっていた

    のでしょう。白子も新座、新倉や志木と同様に新羅系を暗示する地名と言われます。


    現在はほぼ暗渠になっていますが写真のように東に辿っていくと



    宝晃院、如意輪寺を抜け、旧保谷市役所(現在は西東京市役所保谷庁舎)へと続きます。

    ところが天神山付近で忽然と姿を消します。謎です。



    もう一つの水源は東大農場の東南部にあります。



    住宅の脇から突然水路が発生しているように見えますが、

    どうやら東大農場の内部にほんらいの水源はあったようです。

    農場の塀から内部をのぞいてみると 怪しいマンホールが

    農地に突然頭をだしています。






      


  • Posted by まつざきひろし at 01:24Comments(2)管理人の寝言。

    2014年06月11日

    未だに意識は北多摩郡。





    田無駅周辺の古いお宅の表札を拝見しますと 未だに意識の上では

    西東京市という言葉に屈していない皆さんが結構おられるようです。

    かつての北多摩郡田無町や保谷町の表札で通しています。

    その頑固さが尊い。


      


  • Posted by まつざきひろし at 12:44Comments(0)管理人の寝言。

    2014年06月11日

    由美かおるの噂の看板。



    昭和男を思わずニンマリさせる古看板。

    由美かおるのパーフェクトバディがたまりません。

    田無駅北口の総持寺山門近くの やすらぎの小道に面する商店か民家の壁に掲げて

    ございます。


    田無の歴史に興味ある皆さん入会しませんか。  


  • Posted by まつざきひろし at 12:28Comments(0)管理人の寝言。

    2014年06月07日

    お侍の糞尿は高く売れた?



    ちょいと小耳に挟んだことですが。
    5月の例会での話しですが。
    田無村の大名主下田家は江戸末期には江戸の水戸様一ツ橋家ご藩邸に出入りし
    お屋敷の糞尿の処理を一手に引き受けており それを田無および周辺の農民に
    肥料(人糞)として販売し財を成したそうです。

    人糞といっても徳川副将軍家たる一ツ橋家家臣のそれは 一般庶民のそれとは
    取引価格が違ったそうです。食べるものの質に大いに違いがあったのでしょうか。
    糞尿界にもブランドがあったのですね。
    詳細は分かりません。
    寝言ですので。
      


  • Posted by まつざきひろし at 15:28Comments(0)管理人の寝言。