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2014年06月29日

田無地方史研究会紀要 第十号~第二十二号

号数/刊行 著 者 題  名

第10号1990年
近辻喜一 紀要第十号を迎えて近辻喜一 嘉永五年田無村方姓名書
帯川 要 潮崎文書文亀三年、同四年の旦那株売券について
    赤坂六郎 明治初期田無村の諸職人について
田無地方史研究会 南沢氷川神社窯〆祈祷先書上帳について
編集部 田無地方史研究会紀要総目次
近辻喜一 田無に郷土博物館を



第11号1991年
赤坂六郎 田無町明治後期より大正期の不就学の実態
田無地方史研究会 楢崎成直氏を偲ぶ
近辻喜一 田無歴史データシート


第12号1992年
遠藤源太郎* 登録文化財制度の導入について  *田無市議会議員
赤坂六郎 田無の水車
田無地方史研究会 町並の変遷
増渕和利 初等教育における郷土学習


第13号1993年
帯川 要 資料・柳窪村の分離
近辻喜一 明治の田無郵便局
田無地方史研究会 田無郵便局120年の歩み展(記録)
帯川 要 田無の無反別をめぐって


第14号1994年
片桐 譲 神号と地名 尉殿の特殊と普遍
河田角二郎 観音寺の宝篋印塔
増渕和利 田無用水
近辻喜一 年中村入用覚帳
近辻喜一 市史史料の利用について


第15号1995年
帯川 要 御用白土の伝馬
増渕和利 田無宿継問屋出入と山中筋商人居村
片桐 譲 下保谷村鎮守三十番神
河田角二郎 石仏調査おぼえ書き
吉田 豊 深大寺に残る田無の人名
浜田和夫 杜廼屋蝉成(海老沢久太郎)の年譜
帯川 要 元禄十年「乍恐以願書御訴訟申上候事」について


第16号1996年
片桐 譲 魁偉第六天魔王の相貌
田無地方史研究会 御用白土の伝馬関係文書
吉田 豊 深大寺に残る田無の人名 続
増渕和利 継場村田無の八方江の道
田無地方史研究会 文化祭展示「江戸の民間信仰」
岩田朱実 尉殿権現(現田無神社)について
帯川 要 元禄十六年「扱証文之事」(白土伝馬の出入済口)


第17号1997年
吉田 豊 延宝八年中野村の白土伝馬の記録
近辻喜一 御用白土の伝馬、田無村への助馬資料
田無地方史研究会 御用白土伝馬年表(試案)
片桐 譲 保谷囃子
増渕和利 継場村田無の八方江の道(その二)
田無地方史研究会 『御嶽菅笠』いま・むかし展
増渕和利 田無用水三百年


第18号1998年
吉田 豊 田無・中野両村の助郷免除運動
帯川 要 田無新田の開発と見取場改め
田無地方史研究会 田無新田、見取場の開発年表
片桐 譲 試論 石仏学は成立するか
吉田 豊 深大寺大師堂再建仕法帳
増渕和利 継場村田無の八方江の道(その三)
帯川 要 人馬役雇賃銭足し合-幕末馬継の一面


第19号1999年
   吉田 豊 御用石灰仕様帳控と竃主取り替せ証文
増渕和利 継場村田無の八方江の道(その四)
片桐 譲 石橋供養塔と瞽女
田無地方史研究会 文化祭展示「御用白土(石灰)の伝馬」
近辻喜一 中央公民館のできるまで


第20号2000年
   保坂一房* 創刊二十周年を祝して  *たましん地域文化財団
増渕和利 中世の田無・保谷を探る
河田角二郎 山本大膳版五人組帳法度箇条
近辻喜一 田無村の五人組
吉田 豊 御用石灰焼立金主の名義人変更
帯川 要 海老沢安平の卒業証書-教育史の一こま
片桐 譲 山道三十三観音調査事始め
田無地方史研究会 文化祭展示「村から町へ」
編集部 田無地方史研究会紀要総目次
帯川 要 享保改革と田無村


第21号2001年
増渕和利 継場村田無
片桐 譲 岩船地蔵とオージー現象
吉田 豊 明治の銃砲取締りと現存刻印銃の問題点
田無地方史研究会 文化祭展示「明治期の田無町」
近辻喜一 明治の小川郵便局
片桐 譲 三十番神とその禁教-国家神道と民俗宗教の乖離


第22号2001年
増渕和利 江戸時代の飢饉とその対策-武州多摩郡田無村の場合
帯川 要 田無村の役職表
田無地方史研究会 文化祭展示「大正時代の田無町」  


  • Posted by まつざきひろし at 20:51Comments(0)紀要

    2014年06月29日

    『田無地方史研究会紀要』 第一号~第九号



    『田無地方史研究会紀要』所収論文一覧

    号数/刊行 著 者 題  名
    第1号1981年
    楢崎成直 先ず誰かが始めなくては
    関根恒男 市史編さん事業の概要と二、三の問題
    帯川 要 元禄三年田無町屋敷地割について(復原)
    村田朝雄 田無村対下保谷村入会山出入に関する文書
    片桐 譲 武州多摩郡田無村当山派修験寺持宝院略史
    井口平司 御門訴事件の意義について考える
    植田文雄 八反歩
    赤坂六郎 田無俳句史(その一)
    木部正雄* 田無地方史研究会紀要に寄せて  *田無市長

    第2号1982年
    楢崎成直 尉殿私考
    片桐 譲 田無宿安政四年春の大御馳走
    村田朝雄 大沼田新田当麻家文書「上」についての上保谷新田甚平について
    帯川 要 明治初年田無村書上について
    赤坂六郎 田無俳句史(その二)
    佐藤政美* 紀要第三集によせて  *田無市議会議長


    第3号1983年
    竹内 亮 地方史の中の植物
    片桐 譲 鎮守尉殿権現宮信仰の特色
    楢崎成直 資料より見た通説「振武軍」に関する一考察
    赤坂六郎 田無俳句史(その三)
    吉田武義* ふるさとに夢と誇りを  *田無市教育委員会委員長


    第4号1984年
    加倉井昭夫 武蔵野の民家
    楢崎成直 かさもり稲荷雑考-博徒増五郎の背景
    片桐 譲 第六天信仰序説
    植田文雄 倚鍤碑
    村田朝雄 上保谷(新町二-二)共同墓地の招魂塔と墓碑について
    赤坂六郎 田無俳句史(その四)女流俳人 小野房子
    田無地方史研究会 共同研究-社倉事件の資料について
    西ヶ谷敏雄* 研究会の発展を祈って  *田無市教育委員会委員長


    第5号1985年
    村田朝雄 閻魔堂共同墓地調査
    片桐 譲 多摩の村落に見る寺院本末制と宗教の変容
    赤坂六郎 田無俳句史(その五)-昭和俳句史(2)
    楢崎成直 明治天皇と田無
    編集部 編集後記
    末木達男* 紀要第六号に寄せて  *田無市長


    第6号1986年
    片桐 譲 板碑による中世地域史発見の可能性と限界
    赤坂六郎 田無農兵隊
    帯川 要 明治三○年頃の田無町の伝染病対策
    赤坂六郎 舶来野菜事始め
    編集部 後記に代えて
    田無地方史研究会 小田原領の古郷と今の村


    第7号1987年
    片桐 譲 遊行聖と板碑
    赤坂六郎 施餓鬼供養と半兵衛富永
    赤坂六郎 浪人徘徊の維新直後の田無村
    編集部 史碑・句碑・歌碑
    赤坂六郎 田無町事件顛末記


    第8号1988年
    特集 編集部 田無町事件日記
    田無町事件 編集部 田無町事件(原文)
    近辻喜一 田無町事件の登場人物について
    編集部 その時田無町は-下田日記より
     -明治末期から大正初期にかけての町並み


    第9号1989年
    帯川 要 田無周辺の中世史料
    赤坂六郎 維新後地方制下の田無
    片桐 譲 水の女神と尉殿の祭神-神代記と土俗信仰の一栞  


  • Posted by まつざきひろし at 20:35Comments(0)紀要

    2014年06月25日

    西東京市にある3つの白子川水源




    練馬区東大泉の区立大泉井頭(いがしら)公園に端を発し、板橋区三園で新河岸川に合流するのが

    白子川。

    しかし井頭公園から更に上流も存在し、その流路は西東京市では新川と呼ばれ、その水源は3箇所

    から成ります。

    その内の2つが田無・谷戸地区にあります。

    川といっても常時流水があったのではなく、雨季には川、乾季には空堀だったようです。

    比較的水の便に恵まれた谷戸地域は田無発祥の地。谷戸とは多摩地区の湧水地につけられた

    地名でもあります。

    かつて、この地は雨季には川・湿地帯となり、稲荷社や白山社、弁天社、田無山総持寺の前身で

    ある西光寺があり集落を形成していました。

    江戸城築城のために青梅街道が作られるまでは谷戸が田無の中心であったのです。


    市立谷戸小学校がある辺りは今でも若干窪地、雨が降ると池のように水がたまります。




    谷戸新道をはさみ 谷戸小学校の反対側には写真のような遺構が見えます。



    中は空洞になっていて 以前はくみ上げクランクが付いていたであろう井戸が見えます。

    新川の一つの水源から直接汲み上げていたのでしょう。


    この水源の直ぐ近くの民家には水の神様をお守りすると思われる屋敷稲荷があります。



    この稲荷ですが元来は谷戸小学校校庭の南にある松林跡という言い伝えがあり、

    そうだとすると水源の位置も松林の中の可能性があります。

    白子川に沿い西へ西へと原野を開拓した一団は朝鮮半島とくに新羅系の人々が中心となっていた

    のでしょう。白子も新座、新倉や志木と同様に新羅系を暗示する地名と言われます。


    現在はほぼ暗渠になっていますが写真のように東に辿っていくと



    宝晃院、如意輪寺を抜け、旧保谷市役所(現在は西東京市役所保谷庁舎)へと続きます。

    ところが天神山付近で忽然と姿を消します。謎です。



    もう一つの水源は東大農場の東南部にあります。



    住宅の脇から突然水路が発生しているように見えますが、

    どうやら東大農場の内部にほんらいの水源はあったようです。

    農場の塀から内部をのぞいてみると 怪しいマンホールが

    農地に突然頭をだしています。






      


  • Posted by まつざきひろし at 01:24Comments(2)管理人の寝言。

    2014年06月11日

    未だに意識は北多摩郡。





    田無駅周辺の古いお宅の表札を拝見しますと 未だに意識の上では

    西東京市という言葉に屈していない皆さんが結構おられるようです。

    かつての北多摩郡田無町や保谷町の表札で通しています。

    その頑固さが尊い。


      


  • Posted by まつざきひろし at 12:44Comments(0)管理人の寝言。

    2014年06月11日

    由美かおるの噂の看板。



    昭和男を思わずニンマリさせる古看板。

    由美かおるのパーフェクトバディがたまりません。

    田無駅北口の総持寺山門近くの やすらぎの小道に面する商店か民家の壁に掲げて

    ございます。


    田無の歴史に興味ある皆さん入会しませんか。  


  • Posted by まつざきひろし at 12:28Comments(0)管理人の寝言。

    2014年06月07日

    お侍の糞尿は高く売れた?



    ちょいと小耳に挟んだことですが。
    5月の例会での話しですが。
    田無村の大名主下田家は江戸末期には江戸の水戸様一ツ橋家ご藩邸に出入りし
    お屋敷の糞尿の処理を一手に引き受けており それを田無および周辺の農民に
    肥料(人糞)として販売し財を成したそうです。

    人糞といっても徳川副将軍家たる一ツ橋家家臣のそれは 一般庶民のそれとは
    取引価格が違ったそうです。食べるものの質に大いに違いがあったのでしょうか。
    糞尿界にもブランドがあったのですね。
    詳細は分かりません。
    寝言ですので。
      


  • Posted by まつざきひろし at 15:28Comments(0)管理人の寝言。

    2014年06月02日

    5月の例会

    5月例会は5月18日(日)午後2時より西東京市市役所田無

    庁舎1Fロビーにて開催されました。


    イメージ写真です。

    多摩地域史研究会会報(110号 2014年5月15日発行)に掲載された

    本会会員 小幡 宥氏の例会参加記録

    「東久留米市の旧村 柳窪村を歩く」をベースに小幡会員から例会当日

    本年3月23日の訪問先の詳細な報告がありました。



    イメージ写真です。

    また同会報に掲載された本会代表近辻喜一氏の多摩地域の郵便物(主に葉書)に

    見られる標語印
    の資料紹介に関し 同氏より詳細な報告がありました。
      


  • Posted by まつざきひろし at 00:50Comments(0)月例会