2014年07月25日
地名 田無の由来。
西東京市の公式WEB SITEでは田無の由来をほぼ以下のように紹介しています。
田無の語源については様々な説がありますが、定説は得られていません。
地域一帯が「田のない」ところであり、その核心地域として「田無」の名称が残ったと考えるのが、もっとも一般 的な解釈です。
湧水の流れが浅い階段状の「棚瀬」になっていたからとする説もあります。
「田を成す」ことが、「たなし」になったとする説。
年貢の収奪がとくに激しく、種籾すらも取られてしまったため、「種なし」の村と呼ばれ、それが「田無」に変化したとする伝承。
結論として定説はないわけです。
「田無」の地名が見られる最古の文献は、 永禄2年(1559)の後北条家の文書「小田原衆所領役帳」です。
ちなみに永禄2年(1559)は以下のような年でした。
織田信長が尾張を統一し
絵師 狩野元信が死去し
関が原の西軍知将 大谷吉継が生まれた。
Posted by まつざきひろし at 04:18│Comments(2)
│管理人の寝言。
この記事へのコメント
田無の由来のところで4行目のところが
湧き水の流れが浅い階段状の棚瀬になっていたからとす説もあります
と書いてありますがなっていたからとすというところはいたからとするせつだと思います。
湧き水の流れが浅い階段状の棚瀬になっていたからとす説もあります
と書いてありますがなっていたからとすというところはいたからとするせつだと思います。
Posted by ああ寅さん at 2016年07月25日 14:00
ああ寅さん ご指摘ありがとうございます。
早速訂正しました。
早速訂正しました。
Posted by まつざきひろし at 2017年08月22日 09:06