幕末の田無1 渋沢栄一よりも喜作

まつざきひろし

2021年05月20日 10:27

幕末の田無(その時時代は動きそうになった)

NHK大河ドラマ「青天を衝け」視聴率高いようですね。
主人公の渋沢栄一の一族と我が田無保谷は、そこそこ関係がありまして、ひょっとすると田無宿がドラマに登場する可能性があります。
田無地方史研究会の一員としては、このチャンスに無理やりドラマと田無・保谷(ほぼ田無)を結び付けて幕末の田無を紹介させて頂こうと思います。

話が前後しないように、西東京市在住の郷土史家、工野正樹さん著「振武軍と御抱組(おかかえぐみ)」をペースメーカーにさせて頂きます。

1.一橋家と田無

1863年当時、江戸の千葉道場玄武館で剣を学んでいた渋沢栄一と従兄の渋沢喜作は縁あって水戸一橋家御用人、平岡園士郎を尋ね、翌年一橋家に仕えることとなりました。
農民転じて武士に。千葉道場といえば西東京市内に子孫の女性がおられます。
更に、水戸藩江戸屋敷には当時の田無村名主下田半兵衛が出入りしており、下肥のビジネスを広く展開しておりました。
ここで下田半兵衛と両渋沢が対面しているか否かは分かりません。
実物の渋沢栄一と渋沢喜作の写真は俳優さんの下の写真です。つづく。






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