幕末の田無9 総持寺(西光寺)裏で男を斬首!!!
9幕末の田無(その時時代は動いたかもね)
総持寺(西光寺)裏で男を斬首!!!
急造りながら振武軍は田無で以下のように3軍に組織化されます。
頭(かしら) 渋沢喜作
前軍頭取 野村良造
中軍頭取 滝村庄吉
後軍頭取 渡辺遠
会計頭取 尾高新五郎
実際には尾高新五郎は横澤新五郎と変名を使っていますがここは名前は一本化しておきます。
注目のイケメン渋沢平九郎は中軍組頭(副頭取)。
250名から300名の兵が3つの寺院に寝泊まりしますので、寺院の位置を地図で確認しておいて下さい。
日付は不明ですが、官軍の回し者と見られる男が一人捕らえ、尋問するが自白を得ず、やむなく後軍頭取の渡辺遠が西光寺の墓所側で首をはねます『戊辰日誌』。
西光寺の過去帳には氏名不明の者を慶応4年5月7日に埋葬した記録があるのでこれが斬首された男のことと推定されます。
斬首は明治の中期まで行われた刑の執行方法の一つで、有名なところでは安政の大獄の吉田松陰、明治中期の毒婦と呼ばれた高橋伝などがあります。
田無には新政府の追求を怖れたのか、膨大な記録である下田家文書も含め、振武軍に関係する記録がほとんど残っていません。
明治初期の田無宿(柳沢宿)の図。
つづく。
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