幕末の田無7 新五郎、官軍よそおい銃器強奪!
7.幕末の田無(その時時代は動いたかもね)
新五郎、官軍よそおい銃器強奪!
尾高新五郎は後世でTVドラマに打ってつけのある面白い武器略奪作戦を実行してみせます。
なんと江戸城田安門に近い幕府陸軍屯所の最新式銃器およそ200挺を、官軍の服装を模して奪ったのです『彰義隊戦史』。
彰義隊脱走兵が持ってきた約100挺と合わせ約300挺の銃があつまります。
アメリカで南北戦争が終り、大量の武器の余剰に眼を付けた長崎のグラバー商会やフランスの商社が、アメリカから武器を買い付け、幕府と新政府の両サイドに軍艦、大砲や銃を売り内乱を煽ります。
軍資金が乏しくなった渋沢喜作は屯所であった妙法寺を脅し500両を献金させます『戊辰私乗』。
一種の立ち退き料でもあったようです。
では、どこに移動するのか。お待ちかね、田無の登場です。
かれら武装集団が振武軍と名乗ったのは『戊辰日記』では田無で、『戊辰私乗』では堀之内でと記録が分れる。どちらにせよ規模が大きくなり、堀之内の妙法寺では手狭になり、また堀之内は官軍の通路となる甲州街道に近すぎることもあり、田無村に屯所を移すことになります。時は1868年5月1日 (4月29日田無着の文献もある)
つづく。
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